石川九楊氏に続いて、また、すごいものを見てしまった。
先日名古屋高島屋の特設会場で篠田桃紅展が開催された。私は、年が明けた1月4日そこへ出向いた。氏の作品はほとんど現代アートといっていいものであった。実際、入場者は若いデザイナー風の人が多かった。彼らはデザインやモダンアートとして氏の作品を鑑賞しているのだ。氏の肩書も墨象作家となっている。しかし、私は氏を敢えて書家と呼びたい。氏の造形の原点は文字だと思うから。
氏は、若い頃から自分ならもっと「川」を表象できる造形を表現できると考えていたようである。例えば、一本の長い線であったり、多数の線であったりといった具合に。
氏が幼少のときから習っていたのは「かな」であるが、「かな」は、中国の漢字から日本の言語体系や文化に合うようの工夫され、洗練されてきた歴史がある。「かな」の流麗で細く鋼のような線や造形を見たとき、外国人はそれが中国の漢字を起源しているとは思わないであろう。(実際そう)その変化のプロセスを彼女の内面で自分なりに再現し、「かな」とは全く別の世界を構築したということなのだろう。
氏には次のような言葉もある。「朱は、書が己の厳しさに耐えきれなくなくて求めた一点のあたたかさであったかもしれない」と、書の永い歴史の中で書が朱を取り入れた必然性を洞察している。氏にとっては銀や金も同じ位置づけに違いない。それが氏にとって必然だからだ。
また、つぎような言葉もある。「ふと心にかつて見ない美しい線が走り抜けるように感じる時がある。それを可視化するのが私の使命だ」と。啓示を受けたような感覚、これは、まさに神の言葉を書き留めたとされる甲骨文字と同じではないか。
そして、100歳を過ぎて最近は「かな」の世界へ回帰しているようである。
とにかく元旦早々すごいものを見てしまった。(2020年1月18日記)